家族の幸福の根本は、家庭の安泰にあるといえます。家族そろって神棚の前で心を込めて拝み、神様に感謝すると共に家族の除災と招福を祈り、御加護をいただくことは、祖先より受継がれた我が国の美風といえます。
日々を幸せに過ごし、健康でつつがなくあることは誰もが願うことです。
そのためには、我々の祖先が伝えてくれた事、人が人として生きていく道、「神ながらの道」を実践し日々神を敬い、感謝の心を持ち、お祭りを通して「まことの心」を養うことが必要です。

私達の会では各家庭において神棚を祀ることをおすすめしています。
そして、朝夕にあるいは何かの折り目折り目などに神棚に手をあわせてみて下さい。
きっと幸せな日々が送れるはずです。

通常 神棚の中央には神宮大麻(お伊勢さま)を、向かって右側にお近くの氏神さま(産土さま)の大麻を、向かって左側には氏神さま以外の崇敬する神社の大麻を祀ります。

大麻(おふだ)の求め方は、お近くの神社か神職さんにお問い合わせ下さい。



       
君が代の歌詞は、相手の長寿を願う意味で、古く古今和歌集の「賀の歌」の部に編入されています。相手の繁栄や幸福を祈る歌であり、物騒な歌詞の国歌が多い中、世界的にも極めて珍しい、平和的な「めでたい歌」であります。
明治26年、小学校における儀式用唱歌として公布されました。
「天皇さまを戴く日本の国が、繁栄するように」と解釈するのが普通であり、平和を希求する我が国の世界に誇れる国歌です。
けっして、左翼の人たちが主張するような、「憲法無視」で「好戦的な」歌詞では有りません。
ちなみに、諸外国の国歌とくらべてみましょう。

(アメリカ合衆国)おお激戦の後 暁の光に照らし出された星条旗が見えるか・・・・

(中華人民共和国)起て奴隷となるな 血と肉もて 築かんよき国我らが危機・・・・

(イギリス)   敵を蹴散らし 降伏させ給え 悪らつな・・・

(スイス)    国のためスイスの為に 血を命を捧げん・・・

(フランス)   敵の叫ぶを悪魔の如く 敵は血に飢えたり・・・

いかがですか?我が国の国歌はなんと平和的でありましょうか。








我が国の国旗「日の丸」は、太陽を尊ぶ日出ずる国の民族の心意気を示します。赤丸は万物を育てる太陽を表し、赤色は真心と勇気、円形は円満さを示し、周囲の白地は清浄を表します。限りない太陽の恩恵を尊みながら、人は心正しく清浄無垢に円満でありたいという願いが調和を保ち統合されています。
「日の丸」が我が国で用いられるようになったのは文武天皇が大宝元年(701年)に天皇の御座所へ日型の旗を立てたといわれています(続日本紀)

「日の丸」を日本の標識として布告したのは安政元年(1854年)であり、外国の地で初めて国旗として扱われたのは万廷元年(1860年)に勝海舟が咸臨丸でアメリカへ渡った時です。更に、政府は太政官布告によって日本の商船は国旗として「日の丸」を揚げるように定めました。

私達の祖先は、春夏秋冬の季節の中で時の節目と万物を育む太陽を生命の源として仰ぎ尊んできました。神話に見られるように古代から農耕を中心として暮らしてきた日本人は、太陽のもとで織りなされる自然の営みに感謝と祈りの心を忘れることはなかったのです。こうして培われてきた日本人共通の祈りが「日の丸」を国旗として定めさせたとも言えるでしょう。

かつては、公の場所や折々に「国歌」を歌い。祝祭日には多くの家先に「国旗」を掲げた風景が多く見られました。
近年は、先の戦争や特定の偏った思想、主義の人たちにより、国歌、国旗といえは戦争賛美、右翼思想、軍国主義の復活などと思われがちです。しかし、そんなことはありません。

国歌、国旗に誇りを持つ事は何も悪いことではなく、当たり前の、世界では各国民が普通に受け入れていることなのです。
この主張は本来声高にして叫ぶ事ではなく、只当り前の事が当り前ではないので私達は啓蒙活動を行なっています。蒙活動を行なっているのです。




先の大東亜戦争(太平洋戦争は米国など連合国側の呼称です。我国では大東亜戦争が正式な呼称です)で多くの国民をはじめ、軍人、軍属等が亡くなりました。そして現在、靖国神社、全国の護国神社には多くの戦没軍人、軍属が「英霊」としてお祀りされています。

激戦の果てに海外で戦没した英霊は陸海軍併せて約2,400,000人といわれ、その内戦後に日本に帰還したご遺骨は約1,240,000柱とおよそ半数でしかありません。遠く祖国を離れた異国の地、南洋の島々をはじめかつての激戦地には、多くの御英霊が今なお帰ることなく眠られているのです。

終戦より60年以上が経ち実際に戦争を経験された方々はすでにその多くが亡くなり、又その近親の遺族の方々も高齢化が進み、靖国神社、全国の護国神社で執行されている命日祭(お祀りされている方の命日に行なわれる慰霊祭、半月毎などに執行する)に参列する遺族は年々減り続けています。戦地跡には戦後に戦友会や遺族の方々により多くの慰霊碑が建立されましたが維持管理する人もなく忘れ去られ、全国各所にある忠魂碑などは何の為にあるのか年配者でもわからない方が多いのが現状です。

これからの日本を担う若い世代の多くは、過去に大きな戦争があり、その戦争により多くの方が亡くなった事も知らず、英霊を祀る靖国神社や全国の護国神社は心無い人達による政治的、思想的な激しい攻撃にさらされ軍国主義、戦争賛美の温床のように言われています。
国の為(国を守ることは銃後の家族や愛する者を守るということ)に散華された多くの方々を慰霊し顕彰する靖国神社や全国の護国神社はこれからどうなるのでしょうか?
これらの方々の尊き命のおかげで今を生きる私達は平和と繁栄を享受していることを忘れてはなりません。

平和を希求し、今後二度と戦争がおこらないようにするには先の戦争も含め、それをよく知らねばなりません。私達の為に犠牲となった方々に感謝し敬意を表する事は当然の義務です。慰霊や顕彰と軍国主義、戦争賛美はまったく別の事です。
 

長野県神道青年会では、活動報告にもありますように北マリアナ諸島テニアン島での慰霊祭をはじめ、さまざまな戦没者・英霊の慰霊(悼み、その霊をなごめること)、顕彰(祖国に尽くしたまごころを称え、後世に伝えること)を重要活動として行ない、この活動を通じて一人でも多くの人に目を向けてもらう事を目的としています。
靖国や護国の杜に静まる御英霊の御霊靖からんことをお祈り申しあげます。

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